京 都 街 道

 

帰省の復路に、京都に寄って見た。

気軽にオフシーズンの京都を歩いてみようかとぼんやり考えていたのだが、京都が世界的な観光地であること、社寺が多く正月は人が多いということをすっかり忘れていた。

まず向かったのは清水寺。

ここまでのバスも渋滞で既に予定を1時間以上遅れている状態。

清水への参道も写真のように渋滞で混雑だった。

すでに美優はぐったり気味だ。

ようやく清水寺に辿り着いた一行。

雄輝はおおあくび。

 

清水寺は、金閣寺(鹿苑寺)、嵐山などと並ぶ京都でも指折りの観光名所である。西国三十三箇所観音霊場の第16番札所であり、古都京都の文化財の一部として世界遺産にも登録されている。

思い切って物事を決断することを、

 

「清水の舞台から飛び降りるつもりで」

 

と言うが、ある調査によれば、実際に飛び降りた人が1694年から1864年の間に234件に上り、生存率は85.4パーセントと意外に高かったという(件数は未遂を含み、記録のあるものだけ。清水寺に残る古文書「成就院日記」には記録が抜けている時期があり、記録が残っている148年分の合計。年間発生件数が同程度だとすると江戸時代全体では424人と推定される)。

観音の住むという補陀洛浄土へ旅立とうとして飛び降りた者が多かったと見られる。

BY WIKIPEDIA

石垣があったので、スパイダーマンみたいに上ってみろというと、すたすたと結構上まで登ろうとする。「わーそこまでいかんでいい、こっち向け」といって写真撮影。これに興味を持った外人観光客が、私達のあとに同じような写真を撮ろうとしていた。60〜70歳ぐらいの女性だったが、登れたのだろうか、というより落ちて怪我しなかったか心配だ。

清水周辺の三年坂、二年坂は人でごった返していた。私以外の3人は、試食で胃袋を満たしつつ進んだ。よく食う。

 

古い町並み、正月のせいか多い和服姿。ゆっくりと時間が過ぎていくのはいいのだが、チビたちはぐったり気味。宿泊先へと足を進めた。

次の朝、通称「嵐電」で映画村へ向かった。

この路面電車は正式には京福電気鉄道株式会社という。京都市内で軌道事業(路面電車)とケーブルカー及びロープウェイを運営している会社である。

以前は福井県内でも鉄道事業を行っていたが、地元「えちぜん鉄道」に譲渡した。このため現在は京都での軌道事業と福井での不動産業を残すのみとなっている。

目的地の映画村は、時代劇が斜陽になったことからに京都撮影所のオープンセットの維持を画して、その一部を東映太秦映画村として1975年に開村・公開したものである。

玄関では、武士というかお奉行さんというか、出迎えてくれた。

寺田屋があった。坂本竜馬の奥さん、お龍(おりょう)さんが奉公していた旅籠である。1866年、薩長同盟の成立を悟った新撰組によって寺田屋が包囲された。その際、お龍は風呂に入っていたのだが、裸のままで龍馬に危機を知らせて救ったといわれている。といってもセットですけどね。

近くの池には怪獣がいた!

さらし首(時々目が光る)

 

牢屋に放り込まれた雄輝と美優

 

どん、どん、どん・・・

 

一同の者、面を上げい。

 

市中引き回しの上、打ち首獄門じゃ〜

 

なんちゃって。

これは、「茶々-天涯の貴妃(おんな)-」という映画のセットらしい。茶々は言わずと知れた近江の戦国大名浅井長政の娘で、母は織田信秀の娘のお市であり、つまり織田信長の姪にあたる。そして後年は豊臣秀吉の側室(淀の方)であり、家康に滅ぼされる秀頼の母であり、歴史に翻弄された女性であるといえる。

池田屋もあった。

有名な「池田屋事件」は、1864年7月8日に、京都三条木屋町の旅館「池田屋」で京都守護職配下の治安維持組織である新撰組が、潜伏していた長州藩の尊皇攘夷派を襲撃した事件である。

池田屋騒動、池田屋事変、三条小橋の変などともいわれている。

映画村には、この他銭形平次の家や新撰組屯所、古い町並みを再現した長屋や花町、大店街などがある。この他、ガマの油売りや忍者ショー、映画撮影のノウハウを楽しく教えてくれる「映画村の映画塾」が常時開催されている。笑いありアクションあり、子供から大人まで結構楽しめた。

映画村を後にして、我々は龍安寺(りょうあんじ)へ向かった。

 

龍安寺は、臨済宗妙心寺派の寺院で右の石庭で有名である。方丈庭園いわゆる「龍安寺の石庭」は幅25m、奥行10mほどの敷地に白砂を敷き詰め、15個の石を5か所に点在させたシンプルな庭である。15個の石は、庭をどちらから眺めても、必ず1個は他の石に隠れて見えないように設計されている。

 

次に向かったのは鹿苑寺、金閣である。通称になってしまったが、正確には金閣寺ではなく金閣である。こちらは臨済宗相国寺派の寺院であり、足利義満が当時、新築・改築で一新し、ここで政務を行なったといわれる。

最後に訪れたのは、梅小路蒸気機関車館。ここは1972年、日本国有鉄道により日本の鉄道開業100周年を記念して梅小路機関区の扇形庫を活用して開設され、日本の鉄道輸送を支え続けた蒸気機関車を産業文化財と位置づけ、その動態保存を目的とした施設である。だが閉館まで時間が無く滞在時間は20分、ゆっくり見ることができなかった。

 

史跡等が中心の旅で、こども達がどうかな〜と思っていたのだが、

実際に行ってみると、それなりにこども達は楽しんでいた模様。

 

さて、次はどこへ行こうか。

 

 

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