浅 草 街 道  

 

全く脈絡もなく始まったこのシリーズ。

初回として、東京浅草界隈への道をとった。まず上野駅で降り、地下鉄に乗り換えようと歩いていると巨大なパンダが目の前に・・・。取り合えずパチリ。

その後、ちび達は初めての地下鉄乗車!多分『ワクワク』していたのだろう、車窓に見入るふたり。そして動き出す電車。しかし、ひたすら続くまっくらなコンクリートの壁に、がっかりしたように普通に座りなおす二人であった。

浅草は言わずと知れた浅草寺(せんそうじ)を中心とする繁華街である。かつては吉原遊廓、江戸3座の猿若町(天保の改革で、江戸市中に散在していた3座の歌舞伎、2座の人形 芝居の小屋を 猿若町に移し、芝居町が形成)を控えて江戸随一の盛り場であったという。現在の街並みは、明治6年に浅草寺寺域を中心にして6区画に分けられ、浅草公園として整備された。現在も江戸情緒を漂わせ、庶民的な雰囲気を残す街として人気があり、国内のみならず海外からも多くの観光客が集まる街である。筆者が仲見世を歩いていると、周囲から聞こえてくる会話は、店の人からのものを除くと日本語以外の方が多いのでは−、と感じられる程である。お決まりの『雷門』の前で記念撮影、この巨大な提灯、松下幸之助の寄贈であることはあまり知られてないのではないか(右下写真)。

『雷門』は正しくは「風雷神門」と呼ぶ。天慶5年(942)、平公雅(たいらのきんまさ)によって創建され、当初は駒形堂付近にあったが、鎌倉期以後今の場所に移された。門の右に風神様、左に雷神様が祀られているのだが、いつしか『雷門』と呼ばれるようになったという。雷門はこれまで江戸時代の寛永・明和・慶応に3回焼失したそうで、現在の雷門は昭和35年に再建されたものであるとのことだ。

仲見世は雷門から宝蔵門までびっしりと小店が並ぶ浅草寺の門前町である。江戸時代から続く老舗が多く、玩具、小物、唐がらしや、人形焼、手焼せんべい等のお菓子を扱う店が数多く並び、品も様々で参詣客を楽しませてくれる。

仲見世をゆくと浅草寺の山門である『宝蔵門』が見えてくる(写真右上)。『雷門』と同じく平公雅が建立したとされる旧仁王門を1964年に再建したものである。左右に構える仁王像はインドの古代武器を持っており、身体健全や災難厄除の神として信仰されている。中央の提灯は「小舟町」と書かれているとおり、日本橋小舟町の人達の寄進らしい。

浅草寺に伝わる『浅草寺縁起』によると、推古天皇の時代(628年)、漁師の檜前浜成(ひのくまのはまなり)、竹成(たけなり)兄弟が江戸浦で漁労中、一体の仏像を投網の中に得た。それを土地の豪族であった土師中知(はじのなかとも)に見せると、聖観世音菩薩の尊像であることが分かり、中知は自ら出家、屋敷を寺に改めて深く帰依したという。後に檜前浜成、竹成兄弟と土師中知を祀ったのが浅草寺に隣接する三社権現社、現在の浅草神社である。草創以来焼失と再建を繰り返した浅草寺は、江戸幕府第三代将軍家光により1649年に再建され、明治40年に国宝に指定された。その後、関東大震災を無事に免れたのだが、昭和20年の東京大空襲で国宝浅草寺本堂は焼け落ちた。消失した本堂は、戦後復興に着手、昭和33年に完成した。五重塔は本堂・雷門・宝蔵門と同じくして建てられたと伝えられており、1041年に火災によって倒壊し、1635年に再建、その7年後に炎上したという記録が残っているそうだ。その後江戸時代に徳川家光により再建され、明治には国宝指定を受けたのだが、昭和20年に本堂同様空襲により焼失した。現在の塔は昭和48年に建てられた鉄骨鉄筋コンクリート造りで、地上53.32mという高さは京都東寺に次いで高いらしい。

一行は雷門から仲見世、そして本堂前へとやって来た。ちび達も周りの皆さんと同じように頭や体に煙(と呼んでいいのだろうか)を浴び、お願いする時だけの「えせ信仰者」になったのであった。

そしてちび達のお楽しみ、というか、これまでは実は前振りであり、本日のメイン、「遊園地」へ!ここ浅草には「花やしき」という遊園地がある。花やしきは、なんと嘉永

6年(1853年)に、時の造園師・森田六三郎により、牡丹と菊細工を主とした花園として誕生したものだ。明治5年頃から遊戯施設がおかれ、その他珍獣や猛獣の飼育、西洋あやつり大写真や山雀の芸などで評判となり、大正天皇もお忍びで来園したほどの人気を博したらしい。その後、震災や戦禍により閉園を余儀なくされ、昭和24年(1949年)から遊園地として再建した。当初はビックリハウス、

豆汽車、射的、鬼退治等しかなかったらしいが、市民の憩いの場だったという。昭和28年(1953年)、我が国初の国産コースターとして『ローラーコースター』、昭和35年(1960年)には高さ45mの『人工衛星塔(現存)』を設置、どちらも浅草の名物とったそうだ。この『花やしき』、昭和60年(1985年)2月までは入園無料だった。そう、筆者が子供の頃、ここに来た時は入園無料だったのだ。

実はそのこともあって、おやじが郷愁に駆られるようにここへ足を運んだのである。垂直に打ち上げられるような乗り物である「スペースショット」のような近代的なものもある一方で、未だ走り続ける国産最古のコースター等もあり、新しさもありつつ懐かしさもあり、また、温かみを感じる遊園地といったところか?

さて、子供たちの反応はどうか。

ここ花やしきのお化け屋敷は、昭和59年に設置されてより、「血まみれの老人が見える」とか「悪寒がする」等の客や従業員から数々の報告があったらしい。美優は「いやだ。」といって着いて来ず、おやじと雄輝でお化け屋敷へ。幽霊や死体などは大して怖くなく、音響もそんなにビビルような代物ではない。「出るらしい」という感覚が一番恐怖心を煽る様で、雄輝などは全く平気そうだった。

わたしきれい?

とっても小さな観覧車

この日、ステージでは忍たま乱太郎ショーが行われていた・・・

何百円もする乗り物も楽しいけど、

100円で十分大はしゃぎ!

かれこれ20数年前、おやじはこれに乗った。

げ、現存してるとは・・・。

噂のコースターは銭湯へ突っ込んでゆく!

銭湯の次は民家の中へ・・・そしてそこには?

おやじがガキの頃に乗ったものまで現存しており、まったく懐かしさを通り越して驚愕してしまった。で、遊びつかれた一行は、往路を逆走、浅草寺、仲見世、雷門を通って帰路へとついた。

ほっかほか出来たての人形焼と、これまた焼きたてのせんべいをほおばりつつ・・・。

 

おわり

 

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