− わ た ら せ 街 道 −

 

 

 

渡良瀬渓谷沿いに走る鉄道、「わたらせ渓谷鐵道」。「鉄」という字は「金」を「失う」と書く。このため鉄道会社の名称には「鉄」は忌み嫌われ「鐵」の字が使われることが多い。このわたらせ渓谷鐵道には休日に走るトロッコ列車がある。その上流には「田中正造」で有名な足尾銅山の跡がある。我々家族は、紅葉の渓谷と足尾銅山を目指した。

 

 

渡良瀬渓谷鉄道のトロッコ列車は、途中駅大間々始発だ。そこへ向かうのにJR、東武野田線、東武伊勢崎線、渡良瀬渓谷鉄道と、いくつも乗り継いでいかねばならない。分刻みの乗換えをこなし、ようやく着いた東武線とわたらせ渓谷鉄道の乗換駅「相老」、しかし、乗換え客が多く、乗り継ぎ切符購入のため発射時刻が10分程遅れた。しかも列車は3両、都内のラッシュ時顔負けのすし詰めである。

 

 

トロッコ列車始発駅「大間々」でチビ達を促しながらホームを走り、何とか目標のトロッコ車両の右側席を確保することが出来た。そう、渓谷はほとんど進行方向右側なのである。さすがにみんな知っている。私が車両に乗り込んだとき、左側席は全席空いていたが、右側席は2席しか空いていなかった。ここで弁当を購入。

 

 

 

きのこ飯とまいたけの天ぷらを主体とし、とんかつ、シュウマイ等なかなか豪勢な弁当である。お値段は900円。弁当をつまみつつ、列車は渓谷の上流へと向かっていく。

 

 

まだ紅葉には至らないが、い〜い景色である。移りゆく景色をゆったりとした時間の中で楽しむ――といいつつ、筆者は写真撮るのにせわしく動き回っていたのだった。

 

 

この渡良瀬渓谷鐡道の歴史は古い。足尾銅山で採れる銅を運ぶための鉄道として、明治41年に足尾鉱山鉄道株式会社が設立、大正3年に精錬所のある足尾本山まで開通した。その後国有化、国鉄足尾線となった。しかし、その後最盛期を経て、銅山の閉山などから、旅客輸送も振るわなくなり、足尾線は国鉄の赤字線として廃止対象になった。そして、平成元年に第3セクター鉄道、現在のわたらせ渓谷鐡道として再出発したのである。

 

 

トロッコ列車はほぼ満員で走りつづけている。青々とした木々の中にも少し色付いているものが見え始めた。

 

トロッコ列車での雄輝

 

 

 

全く理由はわからないが、トロッコ列車内でてんとう虫が大発生。もともと車両に住み着いているのか、ある地区に多く生息し、外から飛んでくるのか分からないのだが、とにかく入れ替わり立ち代り数十匹のてんとう虫と出会うはめになった。

 

 

 

赤々とした紅葉には出会えなかったが、いい景色とてんとう虫とのゆったりとした時間も終わり、目標の駅「通洞」に到着した。

 

 

 

通洞駅より歩いて数分のところに「足尾銅山観光」がある。入場料は、大人800円、小中学生500円。

現在は廃坑となっている足尾銅山、約400年間にわたって切り開かれた坑道の総延長はなんと、1234km。これは、東京から博多までの距離に匹敵するそうだ。

まず我々はトロッコに乗り込み、坑口へと移動する。

 

 

途中で先頭の電気機関車を外す作業があり、坑道へは坂道を牽引車なしで降りていくことになる。

 

 

坑道内は、十数mおきの明かりのみで真っ暗。ほんの1〜2分でトロッコは停車、そこから先は徒歩見学となる。あまりにも短くてがっかり。

 

 

坑内は、所々に設置されたボタンを押すと音声説明が始まるシステムになっている。銅山なんて訳の分からない美優は、お化け屋敷にでもいるような気持ちだったのかもしれない。しきりに早足だった。

 

たしかに怖い・・・

 

 

坑内には、江戸、明治、昭和・・・と、時代時代の作業風景を再現した人形が配置されている。

 

 

しかし、この人形たち、表情ありすぎ!

 

 

 

 

 

 

古河鉱業「足尾A型」

 

 

↑ こんな看板まである ↑

 

 

 

渓谷より駅の周りのほうが「紅葉」に巡り会えた。1時間に1本程度の渡良瀬渓谷鉄道の列車がようやく着くと、その窓には人の波が張り付いている。そう、超満員なのである。約1時間半、私ら夫婦はすし詰めの中、立ち続けたのであった。チビ達は優しいおばさんに席を譲っていただいた。ありがとうございました。

 

 

 

クタクタになりつつ、ようやく終着駅桐生に着いたのだが、すし詰め列車は各駅での昇降に時間がかかり、約20分送れて到着した。予定していたJRの接続列車はとっくの昔に発車してしまっている。

そこから約2時間かけて何とか家に辿り着いた――。

 

 

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